離婚して十年。 その日、元夫・雅彦が倒れたと娘から電話が入った。脳梗塞だと聞き、私は返しそびれた合鍵を握りしめ、古いマンションへ向かった。十年も経てば鍵は変わっている――そう思っていたのに、ドアはあっさり開いた。廊下で驚く私に、管理人の小池さんが静かに言った。雅彦さんは「この鍵を持っている人が、まだいるので」と、交換を断っていたのだという。その言葉に胸が詰まった。部屋の中には、私が置いていった桃色のスリッパが、きれいに洗われたまま残っていた。引き出しからは、十年前の日付の手紙。「鍵は返せという意味じゃなかった。お前が寂しかったのは知っていた」――雅彦の不器用な本音だった。病室でその手紙を見せると、彼は耳を赤くして小さくうなずいた。私は初めて、泣きながら笑った。十年越しに戻ってきた鍵は、失くしたものではなく、まだ残っていた家族の記憶を開ける鍵だった。