離婚届を出す5分前、市役所の待合室で美咲は鞄を握りしめたまま、ふいに顔を上げた。 「最後にひとつだけ聞いていい?」 その声は静かだったが、直輝の胸を鋭く刺した。「私と結婚したこと、後悔してる?」 直輝は視線を落とし、しばらく黙ったあと、低く答えた。 「してるよ……もっとちゃんと話せばよかったって、ずっと後悔してる」二人が出会ったのは、八年前の小さなパン屋だった。塩パンを譲り合った朝から始まり、冷蔵庫の付箋に支えられた七年間。だが東京での仕事の話を境に、言葉は減り、すれ違いだけが増えていった。「私は、止めてほしかった」 美咲の目が揺れる。直輝もようやく言葉を返す。 「俺も寂しかった。だけど、言えなかった」離婚届は、まだ窓口へ出されなかった。二人は初めて、本当に必要な話を始めたのだった。