チェッカーズのデビュー曲は、最初から順風満帆だったわけではない。むしろ本人たちは泣いて拒否し、所属先に発売中止まで求めたほど、強い反発を示していた。もともとその曲は、俳優・真田広之のために書かれたものだった。しかし採用されず、新人バンドへ回される。アメリカンポップスを志していたメンバーは、いわゆる“ヤンキー調”の曲に納得できなかった。作曲家・芹沢広明は「嫌なら故郷へ帰れ」とまで言い放ち、後日「売れるのか?」という連絡が入るほど、現場は緊迫していた。さらに問題となったのが「仲間がバイクで」という歌詞だった。所属先はヤマハ音楽振興会。偶然にも同じヤマハがバイクを製造していたため、発売中止の声まで上がる。だが芹沢は「帰るならこの仕事を降りる」と拒否し、曲はそのまま世に出た。結果、その一曲がチェッカーズを一躍スターへと押し上げたのである。皮肉にも、泣いて拒んだ歌こそが、彼らの伝説の始まりだった。