あの夜、私はついに三十年連れ添った夫に離婚届を差し出しました。五十八歳になった私は、静かで冷たく、家族との時間を全く大切にしなかった夫・精一との生活に終止符を打つ決意を固めたのです。子育てが終わった今、もう自分を犠牲にする理由はありません。リビングのテーブルに離婚届を置き、「これ以上は無理。自由に生きたい」と一言。精一はいつも通り無言で立ち上がり、書斎へと歩み去りました。数分後、彼は小さな金庫から何かを取り出し、私の前へ戻ってきました。その手には見たこともない一冊の黒い手帳が握られていました。そして、低い声でただ一言。「この家も、家族も渡せない」と。いつも冷静だった彼の瞳には、今まで見たことのない緊張感が宿っていました。「お前が知っているような夫婦ではなかった」と続けた夫の言葉は、私には全く意味が分かりませんでした。商社マンとして身を粉にして働いているだけ、そう思っていた夫の三十年間の秘密。それが、この夜、一枚また一枚と手帳の中身が明らかになるにつれ、言葉にできない驚きとなって私を襲いました。