歌麿が描いた美人画は、庶民の日常を切り取り、誰もが共感するリアルさと美しさを兼ね備えたものでした。しかし、その革新性ゆえに、緊縮政策を進めていた幕府から目をつけられ、度重なる弾圧を受けることになります。それでも、彼は筆を止めることなく、半知恵やかけ引きを使いながら、美の探求を続けました。晩年、バックアップの蔦屋十三郎が亡くなり、さらに幕府の規制も厳しくなる中、歌麿の情熱も次第に衰えていきます。それでも最期の力を振り絞り「錦絵雪月花」を完成させました。「やっぱり美人画は最高だ」と語りながら54歳でこの世を去った歌麿。その反骨精神と美の追求は、現代まで語り継がれ、多くの人々に感動を与えています。