徳川家康の正室であった瀬名姫の生涯を紐解くと、彼女の悲劇的な運命が鮮烈に現れる。16歳で家康と結婚し、松平信康と亀姫をもうけるも、桶狭間の戦い後、家康が織田信長と同盟を結ぶ中で運命は大きく変転した。信長の長女・徳姫との政略結婚により息子・信康の生活が変化する中、瀬名姫が信康の側室を迎えるなどの一連の行動が徳姫との軋轢を深め、信長へ訴状が届けられるに至った。その結果、事実が認められ、瀬名姫は命を狙われる状況に追い込まれ、最終的には三河岡崎で家康の命により処刑される。承認と権力の狭間に翻弄され、38歳の若さで非業の死を遂げた瀬名姫の物語は、戦国時代の女性の過酷な現実を映し出している。