明治時代以降、徳川慶喜は静岡で謹慎生活を送りましたが、その後も趣味に没頭しながら静岡で生活を続けました。趣味を満喫する一方で、新しいモノに興味を持ち続け、静岡ではまだ珍しかった自転車や車に乗って過ごしました。1872年には謹慎が解かれ、1888年には非常に特例的な待遇を受けることになります。経済的には渋沢栄一が関わる会社への投資によって収入を得ており、渋沢栄一との関係も深まり続けました。公爵として復権後は皇室との繋がりも深まり、最晩年には東京へ移住して自由に動けるようになり、皇室との関係もさらに強化されました。彼の生涯は、江戸幕府最後の将軍としての評価が時代とともに再評価され、明治維新後の日本の近代化に貢献したものとされています。