牧野富太郎は、東京大学で植物学の研究に取り組んだものの、学歴は小学校中退という独学の研究者でした。富太郎は、自身の熱意で自費出版を行いながらも、実家の財産を傾けるほどの借金を背負いました。それでも、妻や支援者の支えにより試練を乗り越え、大衆に植物学を浸透させる功績を残しました。千八百六十二年に土佐の酒屋の長男として生まれた富太郎は、家業を継がずに植物学の道を進みました。東京に出てからは、日本全国の植物採集を行い、自費で本格的な出版物を発行しました。彼の研究は、国内外で評価され、多くの困難を経ながらも植物学者としての名声を築きました。晩年には文化功労者や名誉都民に選ばれ、その研究は昭和天皇からも認められました。富太郎の生涯は、日本の植物学の発展に大きく貢献し、その遺産は現代にも受け継がれています。