徳川家康の妻である瀬名姫(築山御前)は、戦国時代の中で「悪女」として語られることが多い悲劇の人物です。彼女は今川義元の家系に生まれ、徳川家との政治的結びつきを持つ重要な存在でした。しかし、桶狭間の戦いで今川義元が敗北したことをきっかけに、家康との関係が軋み始めます。三河への帰還後も彼女は周囲から疎まれ、家康自身も冷たい態度を取るようになります。 後に、築山御前の息子・信康が織田信長の怒りを買い、切腹を命じられる事件が発生します。この結果、築山御前も不審な手紙や行動を理由に処刑されました。歴史的記録に基づく説や政治的な都合による脚色が入り混じり、当時の出来事の詳細は今でも不明な点が多いですが、近年では彼女が「悪女」とされた背景について、新たな視点が提供されています。築山御前は戦国時代の過酷な環境の中で、家康や信長の政治的圧力に翻弄された、悲劇のヒロインといえるでしょう。