松井氏は石川県星稜高校時代から注目を浴び、1992年のドラフトで巨人に入団。1年目から期待通りの活躍を見せ、2年目にはレギュラーに定着しました。そして2002年、FA権を行使してニューヨーク・ヤンキースへ移籍。メジャー初年度から素晴らしい成績を収めました。一方、渡邉氏はプロ野球経営に関わるようになった1990年代からその影響力を強め、2004年にはライブドアの堀江貴文氏との間で起こった近鉄買収問題などで物議を醸しました。渡邉氏と松井氏の確執が明確になったのは、松井氏がメジャー移籍を決断した2002年。当時、渡邉氏は巨人残留を強く求め、将来の監督就任まで約束しましたが、松井氏はこれを断りメジャーへの夢を追い続けました。渡邉氏は怒りを露わにし、「出ていくなら戻る場所はない」と言い放ちました。その後も松井氏がメジャーで成功を収める中、巨人フロントとの関係は冷え切ったままでした。そして、松井氏が引退後も巨人のコーチや監督として復帰することはありませんでした。