新庄さんは阪神時代、野村監督から「宇宙人」と呼ばれるほどの奇抜な言動で注目されていました。1989年、阪神にドラフト指名されて入団した新庄さん。初年度は腰痛に苦しみ、満足な成績を残せませんでしたが、秋のキャンプでその運動神経の良さを見せつけ、首脳陣を驚かせました。転機は2年目に訪れました。吉田監督の勧めで外野手からショートにコンバートされ、さらに打撃コーチの柏原氏との出会いで打撃技術を磨きました。その後、外野のレギュラーを勝ち取り、「亀新フィーバー」を巻き起こしました。新庄が最も激怒したのは、藤田監督との正座事件です。ある日、足首のケアをしていた新庄は練習に遅れたとされ、正座を命じられました。新庄は「僕は遅刻していない」と反論しましたが、藤田監督は聞く耳を持たず、強制的に正座をさせました。この出来事が二人の関係を決定的に壊しました。さらに1995年、藤田監督の指示で四国アイランドリーグへの参加を命じられた新庄は、不満を爆発させ、トレードを要求しました。これが受け入れられないと分かると、彼は引退を宣言。