日本史において、「島流し」は特に江戸時代において、死刑に次ぐ過酷な刑罰として恐れられていました。絶海の孤島へと追いやられた罪人たちがどのように生活を送り、そこでどのような命運を辿ったのか。それは「生き地獄」という表現がふさわしい現実でした。例えば、江戸時代中期、罪人たちは伊豆諸島や八丈島などの離れた島々へ追放されました。航路そのものも命がけで、疫病が蔓延する船内は「地獄船」とまで呼ばれるほど過酷なものでした。無事島にたどり着けたとしても、そこで待っていたのは貧しい食糧事情と島民との共存。最底辺の罪人には、掘っ建て小屋で雑穀を凌ぐ日々が待っていました。生き延びるためには、自給自足や身を粉にする労働が不可欠であり、その中で多くは病や飢えで命を落としました。