斉藤和巳が背番号66を背負い続けた理由、それは天国から見守る祖父に自分を忘れさせないためだったと言われている。その数字には深い思いが込められていた。彼の守備へのこだわりはグローブにも表れており、ゴールデングラブ賞への情熱は並々ならぬものだった。2006年、斉藤は日本プロ野球史上7人目となる平成唯一の投手として、パ・リーグ初の2度目の沢村賞を獲得。しかし、その栄光の裏には常にケガとの戦いがあった。プレーオフでは片膝をつき、涙を流しながら日本ハムにサヨナラ負けを喫する姿が今でも語り草だ。2007年、ほとんど登板できない状態でも、大監督から「リーダーとして一軍にいてほしい」と言われるほどの信頼を得ていた。落合博満もまた、斉藤の才能を見抜き「彼がいる限り、日本球界は保たれる」と絶賛した。斉藤の伝説は、ここから始まったのだ。