「私は、産めませんでした」――その一言の陰に、春子皇后の静かな覚悟がありました。明治天皇に正室との間の子はなく、皇室の将来のため、側室を迎える決断が下されます。浜野光子、橋本夏子、柳原成子ら五人の側室が子を産みますが、多くは幼くして命を落としました。産んだ女性たちの痛みを、皇后はすぐそばで見続けていたのです。それでも春子皇后は、柳原成子が産んだ後の大正天皇となる男児を、実の子のように慈しみました。さらに、病弱な皇太子の妃選びにも心を寄せ、広島行幸では側室や女官を自ら伴って夫を支えます。血のつながりではなく、皇室を守る責務を選んだその姿は、冷たさではなく深い慈愛でした。産めなかった皇后は、確かに多くの子の「母」だったのです。