袴田事件は、日本の司法史上でも最も衝撃的な冤罪事件の一つとして知られている。この事件は、1966年に静岡県清水市で発生した一家4人殺害事件をめぐるものだが、調査を進めていくうちに驚くべき事実が次々と浮かび上がってくる。一体何が隠されていたのだろうか。 当時、元プロボクサーで味噌工場の従業員であった袴田巖氏は、警察に疑われ、執拗な取り調べを受ける。トイレにも行かせず、尋問を続けた末、再現不可能なほど苛酷な状況で自白を強要されたとされている。その証言内容も変遷を繰り返し、さらに有罪の決め手とされた物証でさえ、犯行後1年以上経った後で突如として味噌樽から「発見」され、血痕の一致が疑問視されるなど、不自然な点が多々あった。 驚くべきは、当時の裁判官の一人が、袴田氏の無罪を確信していたにも関わらず、それを貫くことができなかったという事実だ。日本の裁判官としては異例の行動として、その人物は後に裁判官を辞職し、弁護士として袴田氏のために長年尽力。一度は死刑判決を下した自身の行いに自責の念を感じ続けたという。