高橋研一。かつては経理部長として会社を支えた男だが、その栄光は定年退職を機に消え失せた。60歳を迎えた彼は再雇用という形で嘱託社員として働き続け、手取りは正社員時代の半分以下となった。「このままでは貯金が尽きるだろう」と不安に駆られた彼は、政府の年金制度の改正に着目する。75歳まで受給開始を待てば金額は84%も増えるという計算に心を奪われた。そして、数字を信じ、その道を突き進む決意をする。妻・優子との会話は次第に計画的な老後のビジョンに染まった。「75歳まで働いて、北海道を旅行し、翌年は沖縄でリゾートを楽しむ。」夢は数字に裏打ちされた美しいものだった。しかし、計画通りに進んだ彼の人生は突然暗転する。優子が突然の病で旅立ったのだ。「計算外の出来事」が彼を絶望の淵に突き落とした。さらに追い打ちをかけるように、脳梗塞で体が不自由に。理想の年金生活を手に入れた彼は、増額された金を使う術も喜びも失い、ただ数字を眺めるだけの孤独な日々を送ることとなった。「計算法では得をしていたかもしれない。だが人生の本当の幸せを見失っていたんだ。」この言葉は、彼の残された時間の中で形づくられた最後の後悔の叫びだった。