パリで自らの評価を一掃すべく準備を進めていた紀子さまであった。豪華なドレスに、鏡の前で磨いた微笑み。しかしその情熱とは裏腹に、フランス語の準備は「ボンジュール」「メルシー」「セトラビアン」というカタカナ表記の断片に留まっていたとされる。一方、外交の現場には、過去の事実が積み重なっていた。オランダでの英語スピーチの拙さ、イギリスでの戴冠式における靴を履かず草履姿での参列、そしてタラップで透けたスカートが下半身のシルエットを露わにした「透けスカート事件」。これらの度重なる失態と、そこからの学びや改善が見られない姿勢は、外務省内に諦めにも似た空気を蔓延させていた。そして決断の時。高市総理の下に、フランスのマクロン大統領から極めて異例の親書が届けられる。そこに記されていたのは、紀子さまへの招待撤回、そして代わりに「愛子さまと会いたい」という、外交儀礼を逸脱した明確かつ冷酷な意思表示であった。国際社会は、華美な外見ではなく、雅子さまの背中を見て磨かれた真の教養と、相手の文化に寄り添う愛子さまの資質を、厳しく、しかし正当に見極めていたのである。